信念

最小2乗法という諸科学で広く用いられている手法がある。

理系の学生であれば知っていなくてはならないくらい重要な手法である。

最も有名な例はおそらく統計学の回帰分析で、実験の解析にも適用される。

つまり、データの組が多数あるときに、それらに最もよく合う線を引くというものである。わざわざここで述べるまでもないことだろうが。

 

では、最小2乗法が、連立方程式の解を求めることにも役立つことは知っているだろうか。

特に未知数の個数に対して方程式の本数が多い場合、数学的には解が存在しなくても工学的には解が欲しい。そのようなときにも最小2乗法は威力を発揮する。

僕は最小2乗法がそのような目的に使用できることを大学3年生のときの授業で学んだ(と記憶している)。

 

僕は「理解しつつ学び、得たものを自分の物にする」という信念をもって学業に取り組んできた。授業で学んだことを、ただ単に単位を取るために丸暗記するのではなく、いつか役立つ機会のためにしっかり納得しようというわけだ。

もちろん今まで学んだ学問全てを理解することができたわけではないが、授業の2年後に最小2乗法を大学院での研究に大いに活かすことができたので、最小2乗法に関してはこの信念は間違ってはいなかったと思う。

 

微分方程式だって、フーリエ変換だってそうだ。工学部で学ぶ数学というのは、いつ使うか分からなくても、いつかきっと必要になる必須の知識や道具である。これらはどういう場合に使用されるかという定性的な理解とともに、数式を伴う定量的な理解が必要だろうと思う。

数学に限らず、各学科特有の専門的な内容についても同じことが言えるだろう。

 

僕は曲がりなりにもちゃんと学業と向き合って、それなりに労力をかけてきたつもりだ。

でも、必ずしもそれが認められてきたわけではなかった。

特に、学部3年生のときにクラスメイトに言われた忘れられない言葉がある。あれは冬学期の試験日のことだった。ある科目の試験問題が配付され、問題の難しさに周りは思わず声をあげた。僕も驚いた。周りのほとんどが途中退出する中で、僕は授業で聞いて理解したことをもとに、授業で説明された理論を試験時間の間に再構成した。納得のいく答案ができた。この試験を終えて次の試験の教室へ向かった。

事件はそこで起きた。僕が前の試験に長く時間を使ったことにあろうことか「どうせテキトウにやったんでしょ?」というニュアンスのことを言われたのだ。その場ではさすがに冗談だろうと思ってテキトウに流したのだが、後になって複雑な思いに打ちひしがれた。いくら冗談でもそんなことを言うのかと訝しく思うとともに、「おれはテメェみたいないい加減な態度で学業に取り組んでねぇんだよ!!!」という怒りと、そんな奴でも単位が取れてしまう大学の制度への憤りと、世を渡ることが下手な自分への無力感と、日本でトップと言われるこの大学においてなお学業に取り組むことが馬鹿にされるのかという虚しさと、この社会は「正直者」が馬鹿を見るのだろうかという悲しさに襲われた。(自分で「正直者」を名乗ることに躊躇はあるが。)言われた瞬間にブチ切れなくて本当に良かった。

僕はこの出来事を当分の間忘れることはない。

救いとなったのはその2つの科目とも優上という最上の成績を取れたことだろうか。

 

時は流れ、卒業式を迎えた。僕は工学部の某学科の某コース数十人の中で学業成績が優秀(2位)だったということで表彰を受けた。

それは僕にとって栄誉以上のものだった。自分が信念をもって真摯に取り組んできたことが形に残る方法で認められ、決してそれが無駄ではなかったと信じることができた。「正直者」が馬鹿を見なかった。

2位でも良かったが、3位ではダメだったのだ。

 

僕は「理解して学べば自分の物になる」という信念と、「労力はいつかきっと形になって自分の前に表れる」という信念を胸に、これからもしがなく生きていこうと思う。たとえ成果がなかなか見えなくても。