声溜め

しがなき大学院生の由なきぼやき

学位論文のためのWord設定

学位論文のための Microsoft Word 設定方法まとめ

  • ページ番号
  • 見出し=章立て
  • 図表番号の挿入と図表目次
  • 数式番号
  • 章節番号・図表番号・数式番号のリンク
  • 参考文献・謝辞の章立て
  • Appendix の章立て

 

  • 2019/11/15 投稿
  • 2019/12/12 加筆
  • 2019/12/24 修正
  • 2022/10/17 加筆
 

【 ページ番号 】

余白をダブルクリックして、ヘッダーとフッターの設定を選択する。

f:id:airobin35:20191115022832p:plain

page number

 

アラビア数字1, 2, 3, …ではなくローマ数字i, ii, iii, …を使う場合・開始番号を0にする場合は、〔ページ番号>ページ番号の書式設定〕より設定可能。

 

【 見出し=章立て 】

① 新しいアウトラインの定義

〔ホーム>アウトライン>新しいアウトラインの定義〕

f:id:airobin35:20191115023622p:plain

outline-1

f:id:airobin35:20191115023700p:plain

outline-2

〔オプション〕を開く。各レベルnに対して

  • 〔レベルと対応付ける見出しスタイル〕を「見出しn」に設定する。
  • 番号書式やフォントなどの設定:第?章という形にしたい場合や見出し番号の終わりにピリオドを打ちたい場合は、番号書式の欄の数字の前後にその文字(「第」「章」「.」)を入力する。
 

② 〔スタイル〕の設定

〔ホーム>スタイル>見出しn〕を右クリックしてスタイルの〔変更〕をおこなう。

f:id:airobin35:20191115024507p:plain

style-1

f:id:airobin35:20191115024539p:plain

style-2

上記の〔書式>段落〕から、必要に応じてインデントを設定する。

f:id:airobin35:20191115024817p:plain

style-3

 

③ 実際に章立てをする

本文に「序論」「手法」など章節名を入力し、〔ホーム>スタイル>見出しn〕を選択。

 

④ 目次の作成

〔参考資料>目次>自動作成の目次/ユーザー設定の目次〕から目次を挿入する。

ユーザー設定の目次を選択した場合は、下のようなウィンドウが現れる。

f:id:airobin35:20191115025712p:plain

index-1
  • 〔オプション〕から表示する見出しの種類やレベルを指定可能(表題と副題を非表示にする・レベルいくつまで表示するかを指定する)
  • 〔変更〕から各レベルの書式など(フォントや大きさ、インデント)を指定できる。

    f:id:airobin35:20191115031422p:plain

    index-2


    〔変更〕をクリックすると、上記【スタイルの変更】で紹介したようなウィンドウ(style-2)が現れるので、フォントや大きさ、インデントなどを調整する。
目次の更新は、〔目次の箇所で右クリック>フィールド更新〕あるいは〔Ctrl Aで全選択>右クリック>フィールド更新〕で可能。

 

【 図表番号の挿入と図表目次 】

① 図表番号の設定と挿入

  1. 〔ホーム>スタイル>図表番号〕からフォントや書式の設定をおこなう(非太字・中央揃え)
  2. 図表を選択し右クリック、あるいは〔参考資料>図表番号の挿入〕よりラベル(「図」「表」など)を選択/〔ラベル名〕から新規作成する。下記【数式番号】C.で用いたラベル:「eq」「Equattion」「式」などがない場合は、〔ラベル名〕から新規作成しておく。
  3. 図表の名称(キャプション)を付ける。
  4. 同じく〔番号付け〕から「章番号を含める」にチェックを入れる。

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fig-table-number

 

② 図表目次の挿入

f:id:airobin35:20191115042102p:plain

fig-table-index
〔参考資料>図表目次の挿入〕で図表目次を挿入する。
図表目次の更新は、〔参考資料>図表目次の更新〕あるいは〔Ctrl Aで全選択>右クリック>フィールド更新〕で可能。後者は図表番号も更新する(途中で図表を挿入した後の番号の修正も自動)。

 

【 数式番号 】

※ 方法Cを推奨する。

A. 表と段落番号を利用する場合

  1. 1行2列の表を作成し、右列を狭くする。好みに合わせて左側にも狭い列を作成するなどして左右の対称性をとってもよい。
  2. 右端列に〔ホーム>段落番号〕を挿入する。

    f:id:airobin35:20191115033450p:plain

    eq-A1
  3. 幅広列に〔挿入>記号と特殊文字>数式〕を挿入し、数式入力欄を選択してCtrl iでイタリックに設定する。

    f:id:airobin35:20191115033738p:plain

    eq-A2
  4. 表の罫線を消す(枠なしにする)
  5. この表全体を選択し、〔挿入>記号と特殊文字>数式>選択範囲を数式ギャラリーに保存〕を選択する。これ以降は、数式と番号を含んだ表を数式ギャラリーから簡単に挿入できる。
 

B. 数式に#()を入力する場合(Word 2016以降)

  1. 〔挿入>数式〕を挿入する。
  2. 数式を入力した後、#()と入力する。
  3. ()内に、〔参考資料>図表番号の挿入〕より、数式番号を次の方法で挿入する。ラベル「Equation」または「式」を選択/〔ラベル名〕からEq.などを新規作成する。〔ラベルを図表番号から除外する〕にチェックを入れて、()内に数字のみが入るようにする。数式番号に章番号を含める場合は〔番号付け>章番号を含める〕にチェックを入れる。
  4. ()の右側でEnterキーを押す。すると数式番号が右揃えで表示される。
 

C. 表とフィールドコートを利用する場合

上記A, Bは相互参照の際に欠陥があるようなので、この方法が望ましい。

  1. 1行2列の表を作成し幅を調節する(右列を狭くする)。好みに合わせて左側にも狭い列を作成して左右の対称性をとってもよい。テーブルのレイアウトに関して、〔テーブル上でクリック>レイアウト>配置>中央揃え〕としたほうが美しい。
  2. 右端セルをクリックしてCtrl F9を押し、{}内に「seq eq \* arabic」と入力する(\は半角の¥)。最後にF9キーを押す(seq連番フィールドコートに関する参考: http://office-qa.com/Word/wd89.htm )。ただし「eq」の部分は「Equation」でも「式」でもよいし、上記〔参考資料>図表番号の挿入〕のラベルとして既に存在しているものでもよい。

    f:id:airobin35:20191212010228p:plain

    eq-C1
  3. 現れた数字を()で囲む。表の罫線を消す。

    f:id:airobin35:20191212010409p:plain

    eq-C2
  4. この表全体を選択し、〔挿入>記号と特殊文字>数式>選択範囲を数式ギャラリーに保存〕を選択する。これ以降は、数式と番号を含んだ表を数式ギャラリーから簡単に挿入できる。
 

【 章節番号・図表番号・数式番号のリンク 】

本文中の番号を挿入したい箇所で〔参考資料>図表>相互参照〕をクリックする。

f:id:airobin35:20191115043304p:plain

fig-table-eq-chapter-reference
  • 〔参照する項目〕として「図」「表」「式」「見出し」など希望の種類のラベルを選択する。
  • 〔相互参照の文字列〕として、図表の場合は「番号とラベルのみ」にする。「見出し」の場合は「見出し番号(内容を含まない)」にする。また、【数式番号】C.で設定した「eq」の場合は「番号とラベルのみ」にすると閉じ括弧 ) が挿入されず (n と挿入されるので「図表番号全体」にすると (n) と挿入される。
  • 〔参照先〕で対象の図表・数式・見出しを選択し〔挿入〕する。

 

【 章番号を振らない章(参考文献・謝辞)の見出し=章立て 】

  1. 〔スタイル>スタイルの作成〕で「準章見出し」などと名前を付けて作成する

    style-ref-1

    〔基準にするスタイル〕は「見出し1」にする。

    style-ref-2
  2. 章番号を以下の手順で削除する。①〔段落番号〕を解除する。②そこにカーソルを合わせたまま〔スタイル〕で今回作成したものを右クリックし、〔選択個所と一致するように「今回作成したスタイル」を更新する〕をクリックする。

    style-ref-3
  3. 〔フィールドの更新〕をし、目次欄に適切に表示されていることを確認する。

 

【 Appendix の見出し=章立て 】

  1. 〔スタイル>スタイルの作成〕で「付録見出し1/2/3」などと名前を付けて作成する。

    f:id:airobin35:20191115044057p:plain

    appendix-style-1

    f:id:airobin35:20191115044133p:plain

    appendix-style-2
    〔基準にするスタイル〕は「見出し1/2/3」にする。〔次の段落のスタイル〕は「標準」でよい。
  2. 新しいアウトラインの定義:〔段落>アウトライン>新しいアウトラインの定義〕より、【章見出し】の場合と同様に作成する。
  3. 目次の作成の際には、〔ユーザー設定の目次>オプション>目次レベル〕で「付録見出し1/2/3」などを選択する。1.で〔基準にするスタイル〕を「見出し1/2/3」とすれば、本文の見出しに並ぶ形で付録の目次が表示される。

反省

「努力は裏切らない」という言葉がある。果たしてこの言葉は真なのだろうか?

 

それが真か否かは分からないが、怠惰は「微笑まない」。僕が問われたならこう答える。上手くいかない事柄は、満足できない現実は、過去の自分が努力を怠った当然の帰結だ。学業成績が振るわないとか、仕事が上手くいかないとか、スポーツができないとか、人間関係が不得意とか、会話が下手だとか、モテないとか、上手くいかない事柄は一般にいっぱいあるだろうが、結局その原因は過去の自分が怠惰だったからだ。現在の人物やその環境っていうのは、良くも悪くも過去に自分がやってきたことの積み重ねでできているのだ。

もちろん生まれ持った才能がそれらに強く影響することは間違いないだろう。少しの学習時間で優秀な成績を収める人はいるし、少しの練習時間でスポーツでで高い順位を取れる人はいる。それはどの分野でも同じだ。でも、センスの無さを恨んでも仕方がない。結局、周囲が注目するのは結果なのだから。

 

人は不満な現実を嘆き、一方で理想を語る。しかし理想というのは実力を伴う者のみが口にできる現実だ。実力のない者が現実を嘆いても、負け犬の遠吠えでしかない。

不満な現状を変えたければ、自ら行動しなければならない。不満な現状が変わるまで行動を起こす気がないなら、不満な現状に妥協するしかない。そして現在の環境が劣悪なら、自らの手で、あるいは誰かの手を借りて、変えるか逃げるかしなければ、現状維持のままだ。

 

僕はこの当たり前の事実に気付くのが遅かった。

僕は今まで自分は嫌な経験をたくさんしてきたと思っている。そして不満な現状を生まれ持った低い才能や与えられた環境のせいにして、自ら現状を変えることを怠っていた。自分や環境が変わることを、自分が傷つくことを恐れていた。

でも、それは間違っていた。責任転嫁だった。過去に嫌な経験をたくさんしたからと言って、後ろを向きながら歩んでいくことが必要になるわけではない。他人と比較して劣っているからと言って、歩みを止めることを許容されるわけでもない。

確かにセンスの有無に個人差があることは事実だろう。でも、自分にはできないことをセンスの無さに押し付けることは怠慢だった。責任転嫁して、労力をかけずじまいでは、現状は何も変わらなかった。過去の怠慢が現在の自分の姿かたちを作っているのだ。

 

そもそも、自分が他人より劣っていると決めつけていたことさえも間違いだったのかも知れない。他の人にはできていないけれども僕にはできるという事柄もある。客観的に賞賛されることだってあった。逆にそれを羨ましがられるということもなかったわけではない。僕にとってその最たる例は学問だ。

 

ないものねだりだった。僕に隣の芝生が青く見えたように、逆に隣人にとっても僕の芝生が青く見えていた。

僕の青い芝生は、それ相応に手入れをしてきたから青く見えるのだと思う。周りより時間や労力をかけてきた(と自負している)からこそ、今こうして恥ずかしくない程度には学業成績を修めることができているのだろう。他の部分についても、手入れの度合いに応じて青さも異なっているし、手入れをしてこなかった部分は、ものの見事に黄色くなっている。

 

 僕には残念ながら努力は必ずや報われると決め打ちできるほどの成功体験がない。しかし怠惰は必ず自身に跳ね返ってきている。怠惰は「微笑まない」のだ。

 

今からでも遅くなはいのだろうか? 自分を、世界を変えられるのだろうか?

もしもあの頃にタイムリープできるなら、今頃現状に満足できているのだろうか?

 

いや、怠慢だった過去のほうを向くのではなく、反実仮想をするのでもなく、将来のほうを向いて自分を、環境を変えていかなければならないんだ。ないものねだりをするのではなく、自分で入手しに行く必要があるんだ。もし自力では困難なら、声を誰かに聞いてもらえるまで上げ続ければいいんだ。

 

変わるしかない。変えるしかない。

清算

過去の嫌な出来事を振り返る記事です。

 

僕の最も古い記憶の1つは、母に「3つ下の弟のほうが運動神経がいい」と言われたことだ。1回や2回ではない。年齢の違いが身体能力に現れやすい幼少期で既に、3年近く遅く生まれた弟よりも明らかに身体能力が劣っていると言われることは、やはり屈辱的なものだったのだろう。そう言われたことを未だに覚えているのだから。

実際、幼少期の僕から見ても小学生の僕から見ても、弟のほうが運動神経が良いのは紛れのない事実ではあった。(一方で弟にしてみれば僕と学校の成績を比較されて相当つらかったのだろうが。)そして体育の授業でも、僕が周囲と比較して圧倒的に運動ができないということを揺るぎない事実として突き付けられた。

こうして「僕は運動ができない」という事実と劣等感が心に刷り込まれることとなった。

 

母に言われ深く記憶に刻まれた別の言葉がある。「何も頑張らなくても誕生日やクリスマスにプレゼントが貰える、そんなのはおかしいよね」と。少年時代の僕は「確かに」と納得した記憶があるが、結果的に「頑張らなければ存在を認められないのだろう」と考えるようになった。プレゼント自体を記念日とは関係なく貰ったことはあるものの、実際、親から誕生日やクリスマスにプレゼントをもらった記憶はない。実家に住んでいた頃に誕生日おめでとうと言われたかどうかも怪しいし、少なくとも記憶にはない。僕が上京してからは遠くにいる僕を気にかけてかおめでとうと伝えられるのだが、表面上はありがとうと返信するも内心では何を今さらという感情しか湧かない。

 

存在を揺るがされるような出来事は他にもあった。正確な時期は定かではないが、小学生の頃に僕の名前を変えるという話がにわかに持ち上がった。はっきりとは覚えていないが縁起が悪いとか何とかで、名前をまるっきり変えるとか、音は同じで漢字を変えるとか母に言われた。少年の僕が即座に拒否したことは鮮明に覚えている。子供ながらも、名前が変わることで自分が自分でなくなるような感覚になるのを避けたのだろう。でもそもそもこういう話が出てくること自体がネガティブな印象を植え付けるものだ。

 

(母の名誉のために断っておくと、僕が小学生の頃に生まれてこなければ良かったと言った時にはめちゃくちゃに号泣されたので、大切な我が子と思われてはいたようだ。)

 

小3の冬から小4の終わりまで、僕は不登校になった。当時かなり仲がよかった友人とほんの些細な誤解がきっかけで喧嘩に発展して学校で会うのが気まずくなった。(もっとも、後半は今まで不登校だったからクラスメイトに会うのが気まずくて不登校になるという負のスパイラルにいたのだが。)

小5の4月のクラス替えに合わせて意を決して登校することにした。こうして振り返ってみれば相当な勇気だっただろう。

ここで言いたいことは不登校になったことではなく、人間関係は不確かで脆いということだ。親友と言えるような仲だったとしても、所詮は赤の他人でしかなく、些細な気持ちのすれ違いで関係性までもが壊れてしまう。同時に、気持ちを察することの限界も感じている。どんなに仲が良くても、いや、むしろ仲が良いなら尚更、ちゃんと話し合うべきなのだろう。

 

小5から小6までの間に仲の良かった僕を含めた4人のグループみたいなものがあった。1つだけ忘れられない出来事がある。僕以外の3人でお泊り会をしたことを後日知らされた。4人1組のような関係と思っていたのに、自分だけがハブられた。言いようのない悲しみとショックを受けた。そして他人は僕が想像するよりも僕のことに注目なんかしていないし、僕が友人だと思っている人に期待したところで無駄なんだという悟りも開いた。(まぁ、かといって裏切られたと思っているわけでもないし、僕を誘わなかったことが悪いというわけでもない。自分が必ず遊びに誘われるわけでは全くないし、逆に自分が必ず全員を誘うわけでもないので、そんな気持ちになること自体おかしな話ではあるし逆恨みのようなものだ。)いずれにしても人間関係に対してネガティブな考えを持つようにはなった。

 

地元の中学校に上がり、僕はバドミントン部に入ることにした。僕に運動能力がないことは僕自身が一番よく承知していたつもりだが、当時は文化部ではなく運動部に入りたいという妙な虚栄心があった。

これが地獄の始まりだった。僕は同期の中でもダントツで下手だった。同期に見下されたり馬鹿にされたりするのは日常茶飯事で、先輩に部活を辞めろとかタヒねとか言われることもあった。圧倒的な劣等感に支配されるとともに、運動能力が普通の子供に産んでくれなかった両親を恨んだ。

 

中1の頃だっただろうか、僕は吃音を発症した。正確には自分の症状が吃音と呼ばれるものだと知った。僕は挨拶ができなかった。挨拶しないのではなく、文字通り「できなかった」。朝の登校時間に学校の玄関にいる先生に「おはようございます」と言おうとしても、第1音が繰り返されて、どうしても第2音以降の発音ができなかった。「お」から始める「普通」の朝の挨拶がどうしてもできなかったので、第1声を濁して「%&@ます」という挨拶になってしまった。仕方なかった。理科の先生でそこそこ偉い先生が授業中に、朝の「おはよう」という挨拶に対して「ございます」とだけ言う生徒がいるという話をした。僕のことを言われているような気がした。本当に文字通り挨拶ができないだけなのに。周りは僕のことを理解してくれなかった。世界は僕に冷たかった。周りが「普通」できていることが僕には「全く」できないという体験が深く心に刻まれた。

ある時、利き手(僕は元々左利きだったらしい)を強制的に変えられると吃音になりやすいという情報(真偽はともかく)を見てからは、親を本気で恨んだ。そうでもしなければやっていられなかった。もっと「普通」の人間に生まれたかった。もっと「普通」の人間になりたかった。(今思えば過剰なストレスのせいだったのかもしれない。)

今でこそ症状はかなり軽くはなったが、今でも挨拶の時に声が詰まる感じがするし、日常会話でも感じることがある。そしてその度に記憶が僕を襲う。

 

中2になり、地獄は一層深くなった。その時のクラスに仲の良い人が部活の内外含め1人もいなかった。そして部活の同期から絵に描いたようないじめを受けた。毎日のように昼休みに僕の教室に実行犯の部活同期がやってきた。痣ができるほど何度も足を蹴られ、筆箱の中身を床やゴミ箱にぶちまけられた。部活同期の多くは傍観しに教室に来ていたし、同じクラスの生徒もただ傍観するだけだった。僕は見世物だった。世界は僕を除け者にした。もう耐えられないと思ったある日、僕は学校に果物ナイフを持っていくことを考えた。もうこんな日々を終わりにしたい。相手を刺して負傷させても正当防衛くらい認められるはずだ。実際に家の台所から持ち出すことはなかったが、じっと見つめるくらいはした。(今思えばそんな行動に出なくて本当に良かったと思っている。今の僕にとっては経歴の瑕になってしまうから。)

傍観者の中には小学校時代に仲が良く、同じ部活に入った友達もいた。別に救いの手を差し伸べてくれなかったという理由で恨んだりはしていない。逆の立場だったら僕は友人を救ったという自信なんか持てないし。でも、やっぱり所詮は人は独りなんだと思った。「ひとはひとり」この世で大切なことを上手く言い表した言葉だ。

 

全部で数か月間だっただろうか。中3になる頃にはいじめもなくなった。

しかし、その後の人生でも、いや、その後の人生でこそ、多くの人たちと出会い比較していく中で、果てしない劣等感に襲われている。

僕は運動ができない。他には、頭の回転だって速くないし、コミュニケーション能力もないし、面白い話もできないし、人間関係も得意ではないし、相手の気持ちや考えを理解したり察することが上手くできない。ゲームだって得意じゃない。周りの人たちが当たり前のようにできている「普通」のことが僕にはできない。

 

自分が生きる理由って一体何なのだろうか。自分の価値はどこにあるのだろうか。僕には「肯定」が圧倒的に足りてない。コンプレックスの塊がヒトの形を借りて動いているようなものだ。生きる意義を見出すことができたら、自分の存在そのものを愛することができたら、そしてそれができる環境の中・経験の下で過ごせたら、どんなに気楽に生きられたのだろうか。人に蔑まれるのではなく、人に愛されるような人生がよかった。周りが「普通」にできていることを「普通」にできるような「普通」の人間が良かった。

僕はこれからも、決して癒えることのない劣等感と孤独感に蝕まれつつ、見つからない存在価値を探し求めて生きていくのだろうか。果たして、僕の人生はこれで良かった、これが良かったと感じられるときは来るのだろか。

 

とはいえ、ある意味では過去の経験たちに感謝もしている。人は究極的には独りで、だから一人で生きていかねばならないという、ひょっとするとこの世で最も重要なことを、僕に痛いほど分からせてくれたのだから。そして何があってもあの時よりはマシだと感じることができるのだから。

信念

最小2乗法という諸科学で広く用いられている手法がある。

理系の学生であれば知っていなくてはならないくらい重要な手法である。

最も有名な例はおそらく統計学の回帰分析で、実験の解析にも適用される。

つまり、データの組が多数あるときに、それらに最もよく合う線を引くというものである。わざわざここで述べるまでもないことだろうが。

 

では、最小2乗法が、連立方程式の解を求めることにも役立つことは知っているだろうか。

特に未知数の個数に対して方程式の本数が多い場合、数学的には解が存在しなくても工学的には解が欲しい。そのようなときにも最小2乗法は威力を発揮する。

僕は最小2乗法がそのような目的に使用できることを大学3年生のときの授業で学んだ(と記憶している)。

 

僕は「理解しつつ学び、得たものを自分の物にする」という信念をもって学業に取り組んできた。授業で学んだことを、ただ単に単位を取るために丸暗記するのではなく、いつか役立つ機会のためにしっかり納得しようというわけだ。

もちろん今まで学んだ学問全てを理解することができたわけではないが、授業の2年後に最小2乗法を大学院での研究に大いに活かすことができたので、最小2乗法に関してはこの信念は間違ってはいなかったと思う。

 

微分方程式だって、フーリエ変換だってそうだ。工学部で学ぶ数学というのは、いつ使うか分からなくても、いつかきっと必要になる必須の知識や道具である。これらはどういう場合に使用されるかという定性的な理解とともに、数式を伴う定量的な理解が必要だろうと思う。

数学に限らず、各学科特有の専門的な内容についても同じことが言えるだろう。

 

僕は曲がりなりにもちゃんと学業と向き合って、それなりに労力をかけてきたつもりだ。

でも、必ずしもそれが認められてきたわけではなかった。

特に、学部3年生のときにクラスメイトに言われた忘れられない言葉がある。あれは冬学期の試験日のことだった。ある科目の試験問題が配付され、問題の難しさに周りは思わず声をあげた。僕も驚いた。周りのほとんどが途中退出する中で、僕は授業で聞いて理解したことをもとに、授業で説明された理論を試験時間の間に再構成した。納得のいく答案ができた。この試験を終えて次の試験の教室へ向かった。

事件はそこで起きた。僕が前の試験に長く時間を使ったことにあろうことか「どうせテキトウにやったんでしょ?」というニュアンスのことを言われたのだ。その場ではさすがに冗談だろうと思ってテキトウに流したのだが、後になって複雑な思いに打ちひしがれた。いくら冗談でもそんなことを言うのかと訝しく思うとともに、「おれはテメェみたいないい加減な態度で学業に取り組んでねぇんだよ!!!」という怒りと、そんな奴でも単位が取れてしまう大学の制度への憤りと、世を渡ることが下手な自分への無力感と、日本でトップと言われるこの大学においてなお学業に取り組むことが馬鹿にされるのかという虚しさと、この社会は「正直者」が馬鹿を見るのだろうかという悲しさに襲われた。(自分で「正直者」を名乗ることに躊躇はあるが。)言われた瞬間にブチ切れなくて本当に良かった。

僕はこの出来事を当分の間忘れることはない。

救いとなったのはその2つの科目とも優上という最上の成績を取れたことだろうか。

 

時は流れ、卒業式を迎えた。僕は工学部の某学科の某コース数十人の中で学業成績が優秀(2位)だったということで表彰を受けた。

それは僕にとって栄誉以上のものだった。自分が信念をもって真摯に取り組んできたことが形に残る方法で認められ、決してそれが無駄ではなかったと信じることができた。「正直者」が馬鹿を見なかった。

2位でも良かったが、3位ではダメだったのだ。

 

僕は「理解して学べば自分の物になる」という信念と、「労力はいつかきっと形になって自分の前に表れる」という信念を胸に、これからもしがなく生きていこうと思う。たとえ成果がなかなか見えなくても。

門出

陽キャもするらしいブログというものを、陰キャもしてみようと思って書くのである。思うことを少しばかりブログに書きつけていく。

 

このブログもといメモ書きの名前を「声溜め」にすることにした。

僕の心の声を書き留める場所として使うという意味と、肥溜めのように決して衛生的とは言えないものになるという意味を込めて。

いつか巡り巡って僕の何かしらの糧になればいいなという願いも込められている。

 

興味のない人にとっては心底どうでもいい僕の自分語りをメインに、周囲や社会について思うことを時々書き連ねていこうと思う。